2010/04/12

「インデペンデンス・デイ」

Indepenndennceday
1996年に公開されたアメリカのSF映画ですが、
4月11日は僕にとっても『インデペンデンス・デイ』でした。
当時勤めていた会社、1998年1999年と会社が潰れるからとボーナス無しになりました。
1998年は夏のボーナス当日までそのことを秘密にしていて、その日の朝いきなり告げられました。
一度出さないようにしちゃえばしめたものと、その冬、翌年と出さないのが当たり前にされてしまいました。
こっちは結婚したは車を買ったばかりだは、娘が生まれたはで・・・、
物入りの時期にまともにぶつかりました。
それじゃ将来の展望も出来ませんと、退社しフリーの図面屋になったのが2000年の4月11日。
僕の独立記念日。
あれから丸10年が経ちました。
10年振り返っての総評・総括。
2000年・・・・・◎ サブコンの事務所に居候させてもらって受注。
2001年・・・・・◎ 順調 ただし居候が社員よりいい金額なので自宅に帰ることに成る。
2002年・・・・・○ そこそこの売り上げも有った。
2003年・・・・・△ 発注体制が個人業者から会社へと変わり売り上げ減少。
2004年・・・・・▲ 新規開拓なども有り、数社掛け持ち、ちょっと無理が有った。
2005年・・・・・▲ 多方面の会社と付き合うも金銭トラブルなどに見舞われる。
2006年・・・・・△ 一時期仕事が空いたことも有ったけど派遣登録で丸の内の新築ビルに。
2007年・・・・・◎ 仕事が切れずに掛け持ちも有って収益は良かった。ゼネコン施工図室
2008年・・・・・◎ 引き続き、ゼネコン施工図室
2009年・・・・・● 現場上がりとRショックが重なって自宅での作図、完全な落穂拾い状態。
2010年・・・・・? 未だ落穂拾いが続いているのでいいスタートと言えない。最悪です。

ざっとこんな感じ。
△と▲は贔屓目に見ての判断なので、妻から言わせればもっと厳しい評価になることでしょう。
ちょっと忙しそうにするけど、総じて暇そう(遊んでいる)と言う評価はこの○×を見ればなかなか正確に言い当てているのかも知れない。

現状・・・なんだかな~の状態www.。
景気回復も一部のみで、箱物を作らない箱物に頼らない行政方針、仕分け仕分けと予算カットの風潮。


先日マンションの水道を直しに来てくれた水道屋の親父と雑談するも、「ちょっと前まで15人の職人がいたんだけど、今じゃ二人よ」
お腹が出て流しの下に潜り込むのも辛そうで、親方自ら作業することもあんまり無かったんだろうなと思います。
後の人はどうしたんですと聞くと、廃業もしくは転業。知り合いの工務店も何軒か止めちゃったもんな~との事。
去年3年ぶりに木工会社の社長に電話したら、2年前に会社を潰しましたと言われてました。
ちょうど9月頃に仲間関係の仕事もかなりのペースダウン、それまでの勢いがピタリと止まった感じです。
新規物件を渡り歩いてきた今の就業スタイルではかなりヤバイです。
10年やって残っているものが無いこの現状、いっそのこと廃業して社員に成るのが得策なのか、もう少し踏みとどまってみるべきか、まだまだ迷います。


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2006/08/06

自営おやじの転職日記-その後

協力会社として契約なら是非ということです。
任せたい案件もすでに発生しているとの事。

自営親父の転職日記、上記の回答を2~3日保留していましたが、結局協力会社として契約しました。
迷っていても前には進めない、とりあえず一歩前へ。
ゼネコン子会社に居候の2年、自宅に篭っての4年、何とか食える程度でいいやと日々やり過ごしてきた感が有ります。
狭い世界に閉じこもっていたいた結果、知らず知らずに情報音痴になっていた様に思います。
さしたる営業努力もせずに、確固たる情報収集もせずに安閑と過ごしていた。
細いパイプが切れたとあたふたし、弱気になり、落ち込んで、逃げ道を捜そうとしていたこの3ヶ月。
歩いてみればまだまだ可能性はある。

と言うことで明日から通勤生活が始まります。
場所は東京駅近くの大型建築物。
半年契約ですが、物件完成を考えると+2~3ケ月ぐらいだと思います。
図面を描くだけではなく、物件をまとめることもあり、色々経験してみようと思っています。
模索は終わったわけでは有りません。
STUDIO-SERENEをどう伸ばせるか、自分に何が出来るか、どういう会社が面白いか・・・
考える事はまだ沢山あります。

とりあえず第一歩。

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2006/07/27

Yes!orNo!

先日の面接の結果が電話にて知らされました。
社員としての採用はNO GOOD。
協力会社として契約なら是非ということです。
任せたい案件もすでに発生しているとの事。
即答を避け、こちらからの返事という事2~3日保留させていただいています。
条件的には現場ないし事務所への出向と言う形で、通いのスタイル。
契約も半年から一年、1~2ヶ月の単発の物件をかき集めて、高いの安いの、入るの入らないのとやきもきすることは有りません。
実際金額的にはこの6年の平均よりずっと良さそう。

迷います。
浮き沈みの激しさに嫌気がさして、自営なんてヤ~メタだったので、それが解消される。
YES!orNO!
今までの自営の継続or何が何でも正社員。

先日の深夜、NHKスペシャルの『急増・働く貧困層』なる番組をたまたま目にします。
リストラ、破産、離婚、養育放棄などさまざまな理由で職に就けない人々。
一冊40円に成るマンガ本10冊拾って、「今日は良いですよ」と笑う青年。
アルバイトを3つ掛け持ちしても月20万にならないリストラ中年。
番組の最後で「よく彼らはやる気が無いと言われていますが、そんなことは決してなく、必死に仕事を探し、何とか現状を抜け出ようともがいています、そんな彼らを受け入れない社会の仕組みも考えるべきである。」と取材者のコメントが入りました。
見ていて痛々しいし、労働の単価という問題も考えさせられました。
決して他人事ではない内容。

「こんな時に」
最近我が家でよく出る言葉で有ります。
「こんな時に釣りなんかに行って良いの?」と
「こんな時にだからこそ、気晴らしも必要さ」という二つの両極端の意見。
発信者は特定せずともですが・・・。
これまた
YES!orNO!、これは永遠のテーマなんでしょうけどね。

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2006/07/15

迷い

Dousuru
こんな物作っている場合ではないのですが・・・。
頭の中を駆け巡る「YES!orNO!」
一つが片付けば全てがそれに右習いするのは判っていますが。

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2006/07/04

自営おやじの転職日記-その1履歴書

転職の準備、まず必要となってくるのが履歴書。
履歴書を書くのは実に14年ぶりだったりします。
今ではEXCELやPDFでフォーマットされている物が有ったりして、必要事項を書き込むと簡単に作成できてしまいますが、たまに手書きの履歴書を要求される所もあります。
学歴から始まり、職歴を書く。
書いているうちにその時代時代が鮮明に思い返されたりします。
書かれている時はそのつど、自分の人生の節目がそこに有るわけなので覚えていることも沢山なんでしょうね。
その影にその時代時代の女性の姿まで見える、頭の中の思考が思わず脱線したりします。
好きな学科とある、今更好きな学科と言われてもピンと来ません。
趣味とスポーツ、はたして此処に自分の趣味を全部書いてよいものか悩みます。
オートキャンプ、フライフィッシング、ラグビー、山登り、イラスト、HP作成、ドライブ、温泉めぐり、古くはテニスにスキーなどなど。
まさしく自分のHPのネタになるのですが、あまりの趣味の羅列は仕事している時間が無いだろうと思われそうなので、2~3見繕って記入。
で出来た履歴書をまじまじ眺めて見ますが、実際何も此処からは僕なりが見えてきません。
はたしてコレだけで何が分かるのかがはなはだ疑問。
一ついえるのは建築系の仕事をしていたにも係らず、2級建築士・1級建築士の資格取得が無いこと。
コレは痛い。
実際訪問した会社で突付かれるのはここの部分。
忙しさにかまけて資格取得をしなかった人生のつけが今此処に出ています。
貼る写真は、免許書の写真と同じ感覚でやはりお気に入りの写真とは行きません。

仕事に関しては補充が必要。
そこで業務経歴書が必要となるのですが、今まで携わった物件、仕事の内容等細かに書き出します。
何をしてきたか、何が出来るのか、この3枚の中で必至に訴えていますが訴え切れているかが大いに疑問。
さらに手描きのパースや、今までの作図図面。
個人情報保護法の絡みもあって、おおっぴらに手掛けた物件の図面を出すのも憚れる時代であります。

後は面接なのですが、自分のボキャブラリーの足りなさを痛感しますね。
終わった後にあれも訴えたかった、コレも言いたかったなど反省ばかりが先に立ちます。
ナイトワークで知り合った同年代の人がいましたが、やはり求職中で、銀行系との事。
15社受けてようやく決まりましたよと言っておられました。
7月から新しい職場に行きますと言ってましたから、もうすでに新しいところに行かれていることでしょう。

僕の方はまだまだ先は長そうです。

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2006/06/15

自営おやじの転職日記-その0

6年前、ボーナスも出さない社長の心無い暴言に、売り言葉に買い言葉で何も準備の無いまま始めたフリーでの図面屋。
いい時は100の数字も見えましたが、全体に均してみればそんなに割りにいい商売ではありませんでした。
細々食べて行くにはいけたかなという程度。
さほどの贅沢も出来るわけではなく、家族にも我慢を強いるそんな暮らしぶり。
年1~2回温泉に泊まりに行って、年2回のキャンプがやっと。
この2年はとうとう温泉にも連れて行かれませんでした。
年末年始の海外旅行にいけるわけも無く、娘は生まれてからこの方、新幹線にも飛行機にも乗ったことがありません。
元々、人と話しをするのが好きでもある当方。
自宅で一人黙々とパソコンに向かう生活、下手をすれば3日も4日も家族以外と話すことも無いときもありました。
外界との接点はWEBであり、blogでも有ったわけです。
そんな暮らしぶりを続けていると、自分自身煮詰まってしまっていることに気が付いたのが昨年の秋ごろ。
どうにも仕事が進まない。
要求されている内容をこなしたところで、いざ請求書を出せば予算が無いだの、これしか払えないとゴネられるのが必須。
主要取引先以外にもかなり手を伸ばして得意先を増やしてはみるもの、単発だったりしてどうにも継続しないんですね、これが。
一人でやりうる仕事量、これにも限界があり、予定とのかねあいもあり、一見大型物件が入る予定が有ると、他の物件が入れられず、そのまま大型物件に突入であれば問題ないのだけれど、諸事情で流れる。
そうなるとその穴埋めようの物件を捜すことになりここでも四苦八苦する、そんなことの繰り返し
なんだろうなと、このままずっと立場の弱い下請け稼業を続けていても、家族も可哀相だし、自分としてもやりたいことの半分も出来ない、好きなものも買えない。
カビ臭い白いクロスの壁を見つめていても一向に能率の上がらない環境を止め、引越しし手気分の転換を図ろうと思い立ったのは今年になって2ヶ月を過ぎた頃でした。
ちょうど、娘も幼稚園が終わり小学校入学もあったので急遽の引越しが あったのは、以前の記事にもしました。
年末年始は 取り掛かりの物件があり、それに没頭。
3月になりまたここでも予算がないので払えないうんぬんと、言う事態が発生。
ここでメインとしていた会社との取引はもうやめようと思うのでした。
自営継続or廃業。
新規取引の開拓
あの手この手と模索すること約一ヶ月。
ちょうど年度の切り替えが過ぎ、内装関連の仕事はちょっと暇な時期。
何処も図面屋に仕事を出せるほど忙がしくはないとの事。
浮き沈みの激しさにも辟易しているので、あれこれ考えた結果は思い切って自営業の廃業。

「自営おやじの転職日記」
書きたいことは山ほど有ります。
今回はその序章と言うことで-その0
以下乞うご期待。


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