父の入院
12月頭に実家に行った時、体調が悪く掛かり付けの病院の医師から精密検査を受け様に言われているんだと聞いた。
8日に母から電話がありどうやら胃癌らしいので、直ぐの入院が必要だと言ってきた。
11日入院、14日に胃癌手術のカンファレンスを医師から聞く。
87歳の父だが、胃癌と聞いて取れるなら取って欲しいと即答したらしい。
見せられた胃カメラの画像は胃の上部に直径5cmの癌を写し出していた。
見た感じは割れたザクロの様で、そこからの出血で貧血を起こしていたらしい。
胃の三分の二は切除するとの事。
当初より切除範囲が拡がったので一瞬怯んだ父では有ったが、覚悟は決めたらしい。
18日朝9時からの予定で手術室に入ったのだが、緊急を要するに患者が搬入されてその後に成った。
終わるまで待たないとならない時間は長く感じた、父も少なからずイライラしていた様である。
幸いにも胃癌以外に転位は無くて原発箇所の切除だけで済む様なので、待たされる位なのだから大丈夫何だよと訳の分からない励ましをして心落ち着かせる事に専念する。
一番心配なのは術後せん妄で、ひたすら安心させておく事に留意した。
ようやく一時を回り父の番、手術室に歩いて入る父の背中を二つ軽く叩き「頑張れよ」と言って送り出す。
父からはおうと力強い返事が帰ってきた。
4時間掛かると聞いていたが、胃と十二指腸がそのまま上手く繋げたので二時間半で手術が終わった。
出てきた胃を確認、直径5cmより少し大きい癌であった。
麻酔で朦朧としている父には「分かるか?」「手術は終わったからな、無事に胃癌は取れたから」「手のミトンとか管とか一杯付いているから外したりしたら駄目だよ」等現状を理解してもらうために声かけをしました。
全て術後せん妄の防止のために。
言われている事の一つ一つにしっかり頷いてくれたのには頼もしく感じられました。
HCUにいるので長くは会話出来ませんでしたが、頭がしっかりしていたので一安心。
帰りに母と妹と僕の娘と四人で食事がてらのお祝い会。
母は本当に嬉しい様で帰って来たら起きやすい様にとかする為にベッドを早々に注文したらしい。
結局入院した日から退院するまでの20日間、病院には日参していた。
術後の回復が早い。
翌日には鼻から胃へのチューブが外され、酸素マスクも鼻に指すだけのものになり、手のミトンも取れていた。
さらには少し歩いたらしい。
父の頭がしっかりしているのには先生も看護師さんも驚いていたようです。
4日目にはおならも出たし、背中の痛み止めもも外れ明日から水を飲んでも良いとなった。
6日目には重湯と少しのおかずが解禁。
栄養剤の点滴が取れた。
その翌日にはお腹のドレーンが取れた。
管が一本取れる毎に退院へと近づくのだけれど、あれよあれよと身軽に成って行きました。
87歳にしては凄い体力、僕が30年後にこの体力が有るかと聞かれれば自信が無いです。
11日目、今後の食事のメニューなどを栄養士さんから説明を受ける。
そう翌日には退院なのである。
12日目の12月30日、晴れて退院。
家の用事を済ませて実家に向かう。
この日は父と母を労う為に僕が料理を作りました。
カボチャと蕪と人参と豆腐と大根の煮物。ほうとう風味。
野菜は柔らかくし過ぎるとあまり噛まないで飲み込んでしまうので、少し歯応えが有るようにしました。
良く咀嚼する習慣を付けてもらわないといけない。
普段あんまり料理をしない母でしたが、胃の手術をした人の為のメニュー本なとが買ってあり、しみじみ二人の仲の良さを感じるのでした。
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