妻の一周忌
先週の4日は妻の一周忌でした。
この一年あっと言う間に過ぎた一年でした。
でもとてもとても長く感じてしまう一年でした。
書きたい事は沢山あるのに、この十日間書いちゃ消しの繰り返し。
無宗教での密葬だったので特に一周忌の法要は予定せず、会社は休んで静かにその日を迎えるつもりでしたが、家にいる事を知った妻の友人がご弔問に見えてくれました。
午後はようやく妻の両親が自宅に来てくれた。
だけどまだ娘には会えないと言う悲しい状況です。
孫の中にみえる娘の面影を見るにはまだまだ辛く、かなり時間が掛かる様です。
本当なら孫の顔を観て元気出して欲しいのですが、それが出来ない。
元気出して下さいと言っても元気の素は娘だった。
夕方には娘の担任の先生と三者面談。
色々心のケアもお願いして有り、電話も何度かいただいてたりして助かっています。
塾に行く娘と別れ、近くのスーパーで買い物。
塾に娘を迎えに行き、回転寿司屋で食事。
そんな風に静かに過ぎた一日でした。
否が応にも納得させられ、3年も前から覚悟させられていた妻の死でしたが、いなく成ってしまった後の事は考えつかないでいました。
亡くなったあと10月までの任期終了まで、横浜までずっと車で通い続けた。
車中、JUJUの「YOU」がいつものBGMだった。
泣くにはもってこいの場所だった。
それでも仕事中ふと気付くと涙が出ている時が有るのでベランダに出てタバコを吸うふりをしていた。
見上げた空のどこからか妻が見ていてくれている様な気がしたけど、姿は見つけられなかった。
当たり前の事だ。
EXILE / もっと強く
情けない話ですが、妻の事をずっと考えた一年でした。
あの時分かり得なかった妻の気持ちが今に成ってやっと分かったことすら有る。
自分の事を運命の男性と言ってくれて向かってきてくれる女性は生涯にそう何度も無いと言う事。
この話を妻から聞いて一番驚いたのは、実は娘だった事。
誰もが妻にかけた言葉は「貴方に会えて良かった、ありがとう」と声を掛けてくれて事。
人を励まし、いつも元気を分け与えていた事。
満面の笑顔しか記憶に残して居ないこと。
泣けるドラマを見て、自分の心を吐き出してごまかしながら泣けるからと言っていた。
「懸命に、
精一杯生きる!
歩き疲れても、
休みながら、
ずっと歩いて頑張ります。
弱音を吐いている時間がもったいない。
○○○、へなちょこな○○○、
へなちょこなりに頑張れ!」
妻より
発病後、アロマテラピーと心理カウンセラーの資格を取ろうと頑張っていた。
彼女なら言い聞き手になれたと思う。
西野カナ/ たとえどんなに ・・・
ラグビーやってた奴なんて、不器用に前へ進むしかできないんだよね。
どんなキラーパスもらったってそのパスは受け止めるんだよ。
妻へ
元気です。
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