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「2011.06.12」
普段はあまり画像に日付を入れることはないのだけど、この画像にはしっかり日付が挿入されている。
家族三人で写った最後の画像。
昨年の今頃、妻の残り少ない日々を自宅で過ごせるようにと、日赤医療センターにご配慮頂いた。
地域の訪問看護サービスや介護用品のレンタル、処方薬を宅配してくれる薬局など全てを手配してくれたのも、やはり前の日記に書いた相談室の彼女だった。
本当に感謝しても感謝してもしきれない。
介護ベッドなどの全ての用意が整い、病院に迎えに行ったのがこの2011年6月12日の朝。
自宅で過ごせると嬉しそうに笑っている妻、その横で精一杯の笑顔の娘、そして笑顔で見送ってくれた担当の看護士さんのお二人、皆が笑顔でいるのに一人笑えていない奴がいる。
笑顔を作ろうとしたのだが、どうしても笑えなかった俺。
どう見てもその顔は引き攣っている。
仮退院の嬉しい日であるが、それが持つ重い意味を重々承知していた。
不安も有った。
様々な想いで笑顔になれなかったんだと思う。
家で看護している時は特別な事をするわけでも無く普通に過ごした。
ただ一口位しか食べられない彼女に最初の一口美味しいと思ってもらえるように料理を作った。
お風呂に一緒に入り隅々まで洗ってあげた。
あとは体をさすって居た。
仮退院してもしかしたら自分で車を運転して買い物に行っちゃうんじゃないかと心配したけど、もうそんな体力は残って居なかった。
立って数歩歩いてのトイレも一人では行くのもなかなか容易ではないくらいに体力は落ちて居た。
2kgを超える輸液とポンプを自力で持つなり背負うなり四手の移動は難しかったんだと思う。
送り出してくれた病院側では。2~3日自宅で過ごせたらと言う思いだったことを後から聞いた。
ベッドもしばらくは空けて待っていてくれたらしい。
そのくらい重篤だった。
栄養が摂れれば、体力も回復してこの夏は乗り越えられるかも知れないと思っていたのは希望的観測だった訳で病状はかなり進んでいた。
自宅での介護、今思えば充実していたと思う。
残り少ない時間を自宅で過ごせたのは、家族にとって貴重な瞬間だったと思う。
他人様に気を遣う人だったので、入院は気疲れもしたんだと思う。
リラックス出来たろうと思う。
「いってらっしゃい」と夫と娘を送り、「お帰り」とまたその二人を迎える。
一緒にご飯を食べる、TVを見る、家族と話す。
何気ない日常、それがどんな大切なことかを教えられた。
パジャマ姿は写真に撮られたがらなかったので、病院を出るときに撮ったのが最後の写真に成った。
笑えよ、どんな時もさ。
jujuの方が完全にいいんですが、上のはよくある「歌ってみた」バージョン。
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