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2012.06.24

最期のラブレターその1

結婚前からよく手紙をくれていた。
結婚してからもバレンタインデーに誕生日に結婚記念日、一緒に行ったはずの旅行先からも手紙をくれた。
病気が発覚してからコツコツ書いていた闘病記のような日記が出てきたが、読むと胸が痛んだ。
2008年9月の突然の余命宣告で、現況に混乱している僕の姿も綴られていて、かなり辛辣な言葉が並んでいた。
あのままあの年に逝ってしまっていたら、僕には後悔しか残らなかったと思う。

この一ヶ月はずっと昨年の時系列を追っている。
6月12日に帰宅して、一週間後ようやく腹水を抜いていた穴がふさがりかけてきたので、防水絆を何重にも貼り入浴した。
お風呂が大好きな妻だったので、何としても湯船にゆっくり浸からせてやりたかった。
栄養は摂れてもタンパク質は摂れないので筋力はかなり落ちていた。
一緒に湯船に入り、そして体の隅々まで洗う事が出来た。
着替えを済ませ髪を拭いている時に
涙ながらに「ごめんね、迷惑かけちゃって・・・」と言ってきた。
堪えた。
言葉が出せず、そんなことは無いと首を振るだけだった。
やっと言葉が出せて
「こうしてね、最期の時間にお世話させてもらえるのは有難いことだよ。
ゴメンナ、あなたがどれだけ家が好きで、家庭が好きで、家族が大好きなのかようやく分かった。
だから今は思いっきり甘えたらいい。
出来るだけの事はしたい、でも出来ない事は出来ないって言うから遠慮なんかしないでな。」
そんな事を途切れとぎれに返すのがやっとだった。

「ありがとう、無理しないで居てくれるのが一番いい。」

他人様の為にはせっせと動くのを全く苦にしない人だったが、
人に迷惑をかけたり、親切を受けたりする事には非常に気を遣う人だった。

「ごめんね」なんてとんでも無いよ。
こんな事で謝るなよ。
充分に愛情を貰ったよ。
君にしてもらった事の半分も君には返してないじゃないか。
何年振りだろうね、お姫様抱っこ何てしたのは。
帰宅中に一度通院した、痩せたとは言ってもお姫様抱っこで3階まで上がるのはなかなかハードだったけどね。

極々普通の生活をした。
運動会の帰りに最後かもしれないと家に寄ったけど、こうして家で過ごさせる事が出来たのは幸せなのかも知れない。
1日2日が限界だろうとと送り出されたけど、結局12日家で過ごす事が出来た。

12日目の6月23日の深夜。
痙攣を起こし意識不明、救急車により搬送。
日赤病院までへ行くには危険な状態という事で近くの総合病院に行った。

ー続くー
2011年6月14日の日記ー原文まま
一昨日の日曜日に、嫁さん退院しました。
先週半ばから怒涛の準備態勢・・・。

日赤の医療相談室で介護用のベッドやエアマット・車いす・その他を介護用品屋さんに、
訪問看護をその機関に、院外処方を受けて自宅に薬を届けてくれる薬局などの手配を全部していただきました。

で僕の方は点滴パックの取り扱いの指導を受けたり、今後起こりうる事への対応の仕方などいろいろ教わりました。

狭いマンションの一室に介護ベッドのスペースを確保するために部屋の片付けも悪戦苦闘、何とかスペースが作れました。

今回の退院時に今後発生するであろう再入院に備えて緩和ケア病棟への入院を勧められました。
個室だけど差額ベッド代も掛からないし、和室とかも有るので家族も宿泊できるんだそうです。
ただすぐには入れず数ヶ月くらい掛かるので予約を入れておきなさいと言うことなので、予約させていただきました。

今回の退院は、最期のお迎えがくるまで残された時間をゆっくり自宅で過ごしなさいというもので、
他人の目を気にせずのんびり・ぐだぐたしていなさいということ。

他人に多く気を遣ってしまう妻なので、どんなに病院スタッフが親切でもやはり気疲れしてしまうようです。
唯一のはけ口の僕がいろいろわがまま聞いて、少しでも多くの笑顔にさせてやりたいと思っています。

ただ根つめてなんてしないで、自然体で・・・。
これがなかなか難しいですね。

2011年6月20日の日記ー原文まま
一週間なんとか無事過ぎた。

6月12日 日赤病院の先生や看護スタッフに心配されつつ、何かあったらすぐに帰ってくるように言われながらの退院。
今になって妻は家が・・・、家庭が・・・、家族が・・・、本当に好きな人なんだと言うことにようやく気付く。
お風呂のリクエストが有ったが、腹水を抜く管を抜いたばかりなのでシャワーで我慢してもらう。

6月13日 訪問看護のスタッフさんが家に来る。
一人で対応できるよと言っていたが、やはり気になるので通勤途中に引き返す。
社長の女性と担当のスタッフさんがいい人なのでホッとする。

6月14日 近くに住む義母に家に来てもらう。骨粗しょう症で要介護の為と娘の小学校の入学と同時に住み慣れた江戸川を離れ、この土地にやって来たのであるが、立場が変わってしまった。

6月15日 訪問看護。湯船には入れなかったがお風呂に入れてもらえたと言っていた。

6月16日 通院。
必要最小限の栄養は点滴で摂れているが、たんぱく質やらはやはり不足して居るんだと思う。
また動かないでいるのでめっきり筋肉が落ちた。
家の中を歩くならいいが、階段はちょっと無理。
何年振りかのお姫様だっこ、マンションの3階から降りるにはなかなかの体力を使う。
日赤病院、操作するほうが慣れて居ない車椅子での移動で気持ち悪いと言う、言わば車酔い。
病院に来ている方々はどこかしら悪くて来ている病人のはずだが、「most of 病人」だったなぁ妻の様子は。
診察が終わって帰ろうとしていると、医療相談室の看護師さんが慌てて飛んできた。
やはり様子が心配らしい。

6月17日 予定日ではないが訪問看護のスタッフさんが来宅。
昨日の医療相談室の方に困ったことはないかと聞かれて、夜中に僕が寝た後にトイレに行きたくなるとちょっと困ると話をして置いたら、すぐに連絡してくれたらしく、ポータブルトイレが届いていた。
当人はこれは使わずにトイレに行きますと言ってはいますが・・・。
点滴パック、一回1リットルの量があり、これに携帯型のポンプを含めると約2kgになり、持ち歩くのはかなりしんどい、点滴スタンドも用意してあるが、段差があるとしんどいみたい。

6月18日 隔週のようやくの土曜休み。
午前中に院外処方の配達。
病院で処方箋をもらうと同時に薬局にFAXしておくと自宅まで点滴パックやその他の薬を届けてくれるのはありがたいです。
背中やら足などのマッサージはいつもの倍の2時間位は出来た。
保存のきく食品の買出し。

6月19日 湯船に浸かっての久しぶりの入浴。
介添えして一緒に入っていたのでちょっとのぼせる。

食物は肥大した肝臓とリンパの流れが悪くなって小腸にむくみが出て居てしまって、ほとんど食べることは出来ない。
それでもほんの一口二口は食べられるので、せめて一口食べた時に「美味しい」と感じてもらえるように料理をする。
メバルと筍と椎茸の清蒸
鮭のあらとごぼうとたけのこの味噌仕立ての鍋
クリームシチュー水多めで飲みやすくした
渡り蟹たくさんの麻婆茄子
肝臓にいいとされる豚肉・白菜・舞茸の蒸し鍋
昨日は簡単につけ麺
青梗菜とネギをいれたかに玉
一口食べて貰えればいいので手を変え品を変えと試行錯誤。

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