酔いたいで候う
昔、行きつけのショットバーと言うのが有った。
4~5年かもっと前か、駅前の再開発の波に呑まれてその店は今はもう無い。
二十歳過ぎからの過去20数年の思い出がそこには有った。
もし、その店がまだ有ったなら、前後不覚の酩酊になるくらいバーボンを飲み続けたと思う。
独り身ならそれも可能だけれど、娘を放ったらかしと言う訳にもいかず、それは出来ない。
家にもバーボンは置いてあるがほとんど口にしていない。
今の気持ちで酒を飲めばアル中になるくらい飲んでしまうと思うので手を出さないことにしている。
月末になると月命日の4日までの間はどうにもならない寂しさが襲ってくる。
声も出せないくらいに打ちのめされる。
気絶しそうな感情をじっと堪える。
先週、おそらく最後であろう弔問の方のご訪問が有った。
妻が結婚した頃に勤めていた会社の同僚のお二方でした。
僕たちが再会した頃の妻の様子を聞かせてもらいました。
「運命」を感じたそうです。
再会出来たことを本当に喜んでいたと。
愛されていました。
いつも120%から150%の全力投球だったね。
いつも彼女の笑顔に励まされていたと。
これは家に訪れてくれた方々の共通な言葉でした。
もう少し手抜きが出来る人だったらなと思う。
生き急いだ感が残る。
ゆっくり歳月を過ごしてくれたらなとつくづく思います。
5回目の月命日。
季節は冬になりました。
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