2011年終業
軽く納会に出席して、本年度の業務が終了。
町田のとあるSCの内装監理室でオープンを見届け、
横浜のマンションの施工図を描いていたがそこで妻を見送り
新規物件の施工図を描き始めた、これは再来年まで続き責任あるポジション。
「へなちょこは
へなちょこなりに
悲しみを休む理由とせず
歯をくいしばって
なんとか頑張ったぞ。」
と報告しました。
生きる者は生きるために
歩き続けなければいけない。
立ち止まって居てはいけない事、
痛切に感じました。
電車通勤が始まって、読めずにいた「死に行く妻との旅路」の原作本をようやく完読出来た。
不用意に落涙することも有ったけど、読み終えた。
映画では描き切れて居なかった作者のその後が書かれていた。
慣れぬ肉体労働で体を壊すまで、必死になって働いた事。
寺で他人様の法要の末席に参加して自分の妻の冥福を祈り続けた事。
懸命にもがきつつも前へ向かっていました。
作者が残したかったのは妻の死に様、しかしそれは生き様の裏返し。
いかに死んでいったが書かれているけれど、いかに生きたかを残したかったんだと思う。
それは名も無く散った妻の生きた証を記し残さずにはいられなかったのではないか。
供養と言う気持ち、
そんな強い衝動があの手記へ、この本へと突き進めたのであろう。
赤裸々に自分の行動を書くのはよほどの勇気がなければ書けない。
甘く楽しい恋人時代が有って、夫婦となって子供が生まれ、男は夫から父になり、
女は妻から母となり、名前を忘れた女神たちの様になり、
○○ちゃんママと言う存在を嬉々として受け入れ、
子供の成長を見届け、再び夫婦に戻るか、別々の人生を選んだりと様々有る。
僕達は子育ての真っ最中でパパとママの途中だった。
まだまだ旅の途中だった。
3年前に病気が見つかった時もさらなる母性が発揮された。
今年になってようやく夫婦に戻り、
最後の入院の頃、出会った頃の二人に成った。
僕は妻の生きた証を残したいと思い、日記を書いた。
ただそれは妻が望んでいたことかと言えば、そうでは無いところが多分に有る。
名もなく散って逝く、世間に知られずとも、僕と娘の心の中にさえ遺して貰えればそれでいいときっと言うだろう。
僕が何かを書いてもそれは自己満足にしか過ぎない。
そうと分かっていても書かずには居られない自分が、
まだいる。
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