20110925シーズン最後の湯川
「もう今日は釣りをしないのか。」
「ああ、10時間以上やったからもう十分満足だ。」
「釣れていないじゃないか。」
「今日は完敗です。」
「かれこれ1時間以上もそこに座っているが、」
「ある人の事を考えていたんだ。」
「大切な人か?」
「うん、大切だった人だ。」
「ここでの思い出は有るのか?」
「いや、川に来るといつも別行動だったよ。」
「そうか。」
「ただこの奥日光と日光には、楽しかった思い出がいっぱい詰まって居るよ。」
「どんなだ。」
「初めてのドライブは金精峠の紅葉だった、あの時は確か信号で止まったら毎回キスをしながら来たんだよ。
菖蒲が浜での初めてのキャンプ、湯滝レストの焼きまんじゅう、金谷ホテル、フランス料理のシェ・星野、浅いの串かつ、去年の草紅葉、オルゴール館、湯滝・竜頭の滝・華厳の滝・清滝・霧降の滝、東照宮も歩いたな。
夕日の中で引いたキャンプ場のリヤカー、荷物満載なのにちゃっかり後ろに乗っていたんだぜ。
朝焼けの中毛布にくるまりながら飲んだモーニングコーヒー、5℃の寒さだったなぁ。
川俣に行ってはここに寄り、湯西に行っちゃここに寄っていたさ。
昔はキャンプ場で釣りも出来たんだよ。ゆばが食べたいと店を探したんだけど、あんまり美味しくなかったな。
思い出し始めるとキリがないね。」
「いい思い出だな。」
「ああ、かけがいのない思い出だ。」
「泣いているのか?」
「ちょっとだけね。」
「陽が沈みきってしまうまでには、まだ時間が有る。ゆっくりしていけばいい。」
「ありがとう、気の済むまで居させてもらうよ。
ところでどうなんだい、二つも台風が来て、かなりズタズタになっているようだけど。」
「今年はちょっと堪えたな。」
「かなりの大きな木も倒れていたぜ。」
「形有るものはいつかは倒れそして朽ちる、早いか遅いかの違いだ。
彼らは倒れたが、無駄に倒れた訳じゃない。朽ちれば川の栄養にもなるだろう。
川に刺さった枝や幹は、サカナたちのいい隠れ場所になるだろう。
大きな木が倒れれば、陽の当たりが良くなって、今まで陽に当たらなかった小さな木にも陽が差し込む事だろう。
小さな木に自立を促すのさ。
だから決して無駄に倒れた訳じゃない。
きっと何かを遺してくれている筈だ。
お前の大切だった人だってお前に何かを遺してくれている筈さ、今すぐ形にはならないだろうが、何年かすれば分かるさ。」
「そうだね、そうだと思う。」
「あなたは大丈夫かい?。」
「なーにこれしきりの事。悠久の時代から大水が出ようともその度にわたしは再生してきた。
大なり小なり形は変わって来たが、その度に蘇生し再生してきた。
わたしにはその力が有る。」
「その力って何だい?。」
「自分の中に有る『治癒力』さ。幸いにも人間の力で姿も形も弄られて居ないんでね、わたしは自身で立ち上がり蘇生し再生出来るのさ。
人間の手が加えられると、崩れだすともろい。
さらに崩れて収拾が付かない状態になる。
人の力で再生しても自分で起きなけりゃ何の意味もない。支えが失くなればまた倒れるだろう。」
「確かにそうだね。」
「お前だってそうだろう、自分で起き上がらなければ、誰も力は貸してはくれない。
寝たままの魂を起こし上げるには他人からすれば、大変な労力だ。
誰かに癒してもらったって、誰かに慰めてもらったって、お前が立ち直った訳じゃない。
傷んだ心は自分で直さなければ前に進めないだろう。」
「再生か・・・・。」
「そうだ再生だ。わたしはこれからの秋と長い冬の間に、傷んだ体を癒やしきっと再生し、来年の遅い春を迎えるだろう。そしたらまた来るといい。お前の好きなポイントにお前でも釣れそうなブルックを2~3匹用意して待って居るよ。」
「分かったよ、お互いに再生してまた会おう。」
「約束だ。」
「ありがとう、元気を分けて貰った気がするよ。」
川は教えてくれる。
ゆるゆるとした流れは心を癒やしてもくれる。
ちょっと疲れた釣り人にも安らぎと元気をくれる。
湯川のシーズンは終わった。
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