贈呈本
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かなり前に読んだ新田次郎の「槍ヶ岳開山」。
播隆上人が過去に誤って殺してしまった妻への懺悔の気持ちから出家して、槍ヶ岳の開山と言う修行を積み、今で言うブロッケン現象の御来光のなかの人影に泣き妻を見る。
いつも妻の顔は憎悪に満ちていて、まだ許されないと感じ、何度も山に登って・・・
最後には妻の表情が変わり、許された気分に成った・・・
そこらへんの記憶が曖昧で、
持っていたはずの文庫本を探して確認しようとしましたが、本が見つかりませんでした。
記述の中で、播隆上人の信徒たちも槍ヶ岳頂上に立ち、ブロッケン現象の中に各々の想いを込めている人の姿を見つけ、口々にその人の名前を声を限りに叫び続けると言うのが有ったはず。
気持ちが分かるのは
大声で亡き人の名前を叫ぶと言う事。
今、無性に妻の名前を大声で叫びたい。
声を限りに叫びたい。
ただただ名前を呼んで叫びたい。
それで何が起こる訳じゃ無いんだけど叫びたい。
普通の生活の中で大声で叫んでいい場所は残念ながら有りません。
川や山でもなかなか叫べる所ってないもんね。
車の中で叫ぶかしかないのかな。
PS)
小説の中で播隆上人は妻をあやめてしまったとありますが、実際は妻帯はしてなかったとの研究結果が在るようですね。
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早いもので四十九日が過ぎた。
生前の妻と約束したことがある。
娘に不自由な思いだけはさせてくれるなと。
お墓はいらない。
一人寂しく墓の下に眠っているのは絶対に嫌やだと言っていた。
年に一度か二度のお参りだけじゃ寂しく仕方ないと。
遺骨を加工して家に置いて欲しいと、もしくはセラミックやダイヤにして娘のお守りにして欲しいと言っていた。
いつもそばにいて娘を守ってあげたいと。
ネットで調べるといろいろな方法が有るようで、どれにしようか決めかねている最中。
妻が亡くなって空を見上げる事が多くなった。
広い空のどこからかあの満面の笑顔でこっちを見ているような気がしてならないのです。
でもまだその姿を見つける事が出来ません。
家でじっとしているのが好きじゃない人だったので、きっと大空を自由に飛び回っているんだろうと思う。
今日も懲りずに空を見上げます。
やはり姿は見れないなと思っていたら、虹が掛かりました。
何故だか涙がこぼれました。
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