妻が7月4日 18時15分に永眠しました。
がん末期の状態に入り、
食事も喉を通らなくなり、5・19に栄養補給を点滴でするために胸にポートを埋め込むために入院。
既に肝機能の低下が起きており、肝性脳症の症状も出始めていました。
5・29 楽しみにしていた週末の運動会までにはもたないかも知れないと医師から告げられる。
でも彼女は諦めなかった。
運動会を見させてと懇願し続けていたので体調が少し安定したのを確かめて外出許可。
介護人付き、介護タクシーでの移動、体調が悪くなったら即座に引き返すなど多くの条件付きで運動会へと送り出して頂きました。
本当に嬉しかったんだと思う。
暑さでフラフラになりながらも学校側のご配慮にも助けられ、娘の運動会を見て病院に帰った時は看護師さんみんなにに運動会見れたと嬉しそうに話していたらしい。
その後体調が安定してきたのと、妻の自宅で少しでも過ごしたいと言う希望を日赤病院のスタッフさんが懸命の努力で叶えてくれた。
介護用品やベッド、訪問看護の手配、薬の宅配できる薬局の手配など、煩雑な手続きを整えていただき、6・12に一時帰宅。
自宅での介護が始まった。
ほんの一口は食べられるので、その一口に美味しいと思ってもらえるよう懸命に料理もした。
ただただ普通に過ごした。
TVを一緒に見て泣いたり笑ったり、一緒にお風呂に入ったりと極々普通の生活をした。
訪問看護の方が本当に優しくありがたかった。
6・23深夜、痙攣発作と同時に意識がなくなったので緊急搬送。
日赤への移動をお願いしたが、意識レベルが悪すぎると言うことで近くの病院へ入院。
意識は戻らないだろうと言われたが奇跡的に普通に戻った。
すぐさま日赤への転院を申し出て、ベッドが空いた4日後に日赤病院へ転院。
看護スタッフさんが口々に「お帰り~、家で過ごせて良かったね~。」と暖かく迎えてくれた。
家で少しは歩けていたが発作後は歩行困難に成った。
痛いの、辛いの、体の向きを変えるの、お茶が飲みたいの、すべての感情や行動を僕に頼ってくれた。
この時期に娘に
「今のパパは優しさオーラでいっぱいだよ、その証拠にパパが居ないと痛いとかなんにも言わないんだから、パパだけを頼っているし、パパとずっといたいみたいよ。」
と言われた。
日赤病院転院後は少しずつ何かが彼女から剥落していった。
金曜日に尿の出が少なくなり、最期の時が近づいていると告げられる。
一山超えて安心して面会に行った日曜日。
土曜日には少なかった尿の量も正常に戻り、一安心していましたが。
面会に行くと妻はうなされているばかりで、朦朧とする頭の中で浮かんだ単語を繰り返し声に出し続けていました。
家に帰りたいと思うのだろうか「かえりたい」は2時間以上間断なくうわごとのように繰り返されていた。
「もうちょっと良くなったら、またお願いして家に帰ろう」と何編も言い聞かせるのだが、それでもうわごとはくり返されていた。
明らかに肝性脳症が起きていた。
お茶を飲みたい、歯磨きしたい、拾える単語にはなんとか対応出来たけれど
ベッドがナースセンターの脇に移され、それでも意味不明のうわごとや唸り声は続いた。
尋常ではない様子に看護師さんと相談し、今日は地区のドッジボール大会で来られなかった娘を迎えに自宅に向かいトンボ帰りで9時半に病院着。
唸り声はその後2時間続いたが深い昏睡状態に入る。
何を話しかけても反応なし。
朝6時に尿が止まる。
担当医から尿が止まったら半日と告げられる。
土曜には102、日曜には70有った脈拍は64に落ちた。
これも徐々に下降線を辿り、50を着れば次第に落ちてやがては止まるであろうと伝えられる。
妻の声が聞きたくて、
妻の笑顔が見たくて、
目の開いた顔が見たくて、
冷たくなっている手足をさする。
午後4時脈拍が50を切ったと告げられる。
ベッドの右に娘が左には僕が位置し、懸命に呼びかける。
脈拍44、呼吸も途切れ途切れとなり、
「僕は君と結婚出来てとても幸せだった、
だからありがとう。
僕を信じて介護を任せてくれてありがとう。
君の満面の笑みが大好きだった、いつも笑顔でありがとう。・・・・」
延々に妻に感謝の気持ちを伝え続けた。
もっともっといろんな言葉を掛け続けた。
脈拍がほとんどなくなりかけた時、妻の目が開いた。
そして「ありがとう。」としっかりした言葉が出た。
笑顔がそこに有った。
呼吸も脈もそこで止まった。
目を閉じさせ、髪をなでつけ
ナースコールを押した。
声を上げてオイオイ嗚咽した。
ひと目もはばからず泣いた。
看護師が来てさらに担当医を連れて来て死亡確認、18時15分。
日赤病院の看護士さんたちに整えられた妻の顔はとても穏やかで、素敵な笑顔になっていた。
自宅に連れて来たかったけど、介護ベッドや用品が置かれた我が家では受け入れるスペースがなかった。
斎場の安置所に届けて帰宅。
一人じゃ寂しいだろうからあす早朝早くに会いにいくよ。
妻へ、最期に素晴らしい笑顔ありがとう。
本日7・6、19時からお通夜。
明日告別式です。
カルチノイド腫瘍という病気には結局勝てなかったけど、
妻は決して自分に負けなかったと思う。
享年47歳。
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