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2011.07.23

ちょっとホッとしました

午前中に訪問看護に来ていただいた方のご弔問。

短い期間のお付き合いでしたが、本当に優しく妻に接していただけました。
自分としては一ヶ月以上お世話になりたかったのですが、それを言っても仕方のない事です。

発作を起こしてからのこと、
GWの旅行のこと
闘病の事
いろいろお話させて頂きました。

最期の時の話はまだ言葉に詰まり詰まりですが、お話させて頂きました。

病院に入院したままでなく、家に帰れたのは良かったですよ。
なかなかそう望んでも出来ないんですよ。
大切な時間でしたよとおしゃってくれました。

日赤病院の相談員の方からは
もしかしたら一泊だけになるかも知れないが、それでも引き受けてくれますかとの問いに
ええ、少しでもお手伝いできるのなら、喜んでと言う事だったらしい。

余りに短くて、もっとしてあげられる事沢山あったよな~と後悔ばかり先に立って、
結局12日間「だけ」の自宅療養だったけど、と思っていましたが、
これは当時の妻の体の状況からすると
12日間「も」一緒に居れたことだったらしいと知りました。

所長さんの言葉に
少し救われた気持ちになりました。

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2011.07.20

ひとりごと

生前妻は、間違っても「生まれ変わっても、また一緒になろう」とだけは
私の葬儀の時には言わないでよ。とよく言っていた。

約束通り喪主の挨拶ではそんな事は言わなかったよ。

今になって君の性格やら物の考え方とかどんなだったろうって考える。
家が好きだったな。
家庭が好きだったな。
家族が好きだったな。
何よりも家族で共に過ごす時間を大切にしていたな。

身辺整理はしないで、懸命にその日を生きると言っていたが、本当に何もしてなかった。
笑顔だけ遺して逝った。

連絡も見知っている方には出来たけど、本当はもっと連絡しなくちゃいけない方も沢山いたんだろうな。
でもみんな悔しがっていたぞ、最期に会いたかったって。

車の中のBGM,西野カナは元気が出るな~、JUJUはマジ泣ける。
車で通勤する必要はもうないんだけど、電車の中でいい年こいたオヤジが涙ぐんでちゃオカシイだろ。
一人しみじみ泣くには、車はいいよ。
だからもう少し車での通勤は続けるつもりさ。

今度のお盆は49日経って居ないのでおとなしくしていようかと思ったけど、娘と木崎湖にキャンプに行く事にしたよ。
今回は三人じゃなくて二人と額縁一枚だけど、いつものように記念撮影をするさ。
毎年の恒例行事さ。

3年前に病気が見つかって、いつかは訪れるお別れと覚悟はしていたけれど、
いざその時になって、きちんと送り出したにも関わらず、うろたえ放しだ。
現実逃避。

病院に行くか家に帰るかすると、待ってましたとばかりに寝返りして背中をさすったりもんでもらおうとする君がまだどこにいるような気がする。

冷たく成って行く体も、棺の中の君も、焼かれて骨になって、遺骨を拾い上げたはずなのに、まだそんなこと考えている。

いい旦那じゃなかったよ。
そんなことは重々承知しているよ。
その都度しっかり文句は言っていたから、言い残した事はないのかな。


いつまでもメソメソしてんじゃないわよ、きっとそう言うんだろうな。
メソメソしている訳じゃないが、思い出すと涙が溢れるんだよ。
ふいに気付くと涙がこぼれそうになっていたりするから、ベランダに出て一服してる。
おかげでタバコの量が増えたじゃないか。

遺影は最後の高山旅行の時のにしたよ、娘からすれば自分の知らない頃のママでは納得出来なかったらしい。

通夜と葬儀、全くの無宗教の形で行なったけど、あれで良かったのかね。
好きな音楽かけて送ったけど、JUJUの「また明日」はかけられなかった。

ちゃんと世話をして上げられたんだろうか。
自己チューだから、きっとどこかで自己満足の着地点見つけて自分で納得しちゃうと思うんだけどな。


何かを考えても

やはりただただ

悲しい。


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2011.07.16

君の誕生日

7/13妻の誕生日でした。

いつものように不二家でケーキを買って、誕生日を祝いました。

いつもよりひと回り小さいケーキにしました。

でも主役がいません。

皆で誕生日祝いしようなと励ましてたんですけどね。


妻がくれた最後の手紙は僕の誕生日のカードでした。

○○○様へ
お誕生日おめでとう!

毎日お仕事お疲れ様、
娘の為にも一生懸命働く姿を見せてあげてください。
それから少し私も欲しかったものを買わせて下さい。

身辺整理を・・・と言われても何をどうしていいかわかりません。
だからいつも通りこのままで生きていきたいと思います。

私の役目はまだあるようで、なかなかお迎えにきてくれません。

泣くドラマが好きです。
自分の心を吐き出してごまかしながら泣けるから。

懸命に精一杯生きる!
歩き疲れても休みながらずっと歩いて頑張ります。

弱音を吐いている時間がもったいない。

来年の桜を見られるかなぁ、今年は見られそうだね。

○○○、へなちょこな○○○、
へなちょこなりに頑張れ!
               2011.03.17☆☆より

おう、
へなちょこなりに頑張ってるぜ。


だけどな、へなちょこなんで

君のことを思い出すと

涙が出てくるんだよ。

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2011.07.10

社会復帰

娘は既に金曜日から
小学校に通い始めていて

その夕刻には介護用品の引取りをしてもらった。
部屋の掃除をして元のレイアウトに戻す。

土曜日には数名の弔問者が見えてくれました。

夜は焼肉屋に行ってガッツリ焼肉。
元気が出ました。

日曜の今日は娘の洋服と必要品の買い出し。

明日から職場に戻ります。

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2011.07.08

今日私はママを笑顔で送る

と小六の娘が宣言したのは
通夜を終えた葬儀の朝、斎場の和室で目を覚ました時でした。

「無理しないでいいよ、泣きたい時には泣きなよ」と言うが

「泣くのは昨日いっぱい泣いたから、ママの笑顔に負けない笑顔でママを送ります」とのこと。

棒読みの喪主挨拶に娘からダメ出し、「感情がこもっていない」と。

時折、涙するオヤジの背中をさする娘。
「やめなさい、みっともないだろ」
涙する度に背中をさすりに来るんじゃねえって。

なんとか無事に妻を送り出すことができました。

娘は笑顔を絶やさない一日でした。

ママを送り
夕刻自宅に帰って片付けで忙しい中、どうしても七夕飾り用の笹を出して欲しいと言う娘。
今年も出さなければ駄目かとの問いに、どうしても出して欲しいと言う。
七夕飾りの短冊には
「ママが天国に行ってゆっくり安めますように」
とあった。

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2011.07.06

Thank You For the Smile

妻が7月4日 18時15分に永眠しました。

がん末期の状態に入り、
食事も喉を通らなくなり、5・19に栄養補給を点滴でするために胸にポートを埋め込むために入院。
既に肝機能の低下が起きており、肝性脳症の症状も出始めていました。
5・29 楽しみにしていた週末の運動会までにはもたないかも知れないと医師から告げられる。
でも彼女は諦めなかった。
運動会を見させてと懇願し続けていたので体調が少し安定したのを確かめて外出許可。
介護人付き、介護タクシーでの移動、体調が悪くなったら即座に引き返すなど多くの条件付きで運動会へと送り出して頂きました。
本当に嬉しかったんだと思う。
暑さでフラフラになりながらも学校側のご配慮にも助けられ、娘の運動会を見て病院に帰った時は看護師さんみんなにに運動会見れたと嬉しそうに話していたらしい。
その後体調が安定してきたのと、妻の自宅で少しでも過ごしたいと言う希望を日赤病院のスタッフさんが懸命の努力で叶えてくれた。
介護用品やベッド、訪問看護の手配、薬の宅配できる薬局の手配など、煩雑な手続きを整えていただき、6・12に一時帰宅。
自宅での介護が始まった。
ほんの一口は食べられるので、その一口に美味しいと思ってもらえるよう懸命に料理もした。
ただただ普通に過ごした。
TVを一緒に見て泣いたり笑ったり、一緒にお風呂に入ったりと極々普通の生活をした。
訪問看護の方が本当に優しくありがたかった。
6・23深夜、痙攣発作と同時に意識がなくなったので緊急搬送。
日赤への移動をお願いしたが、意識レベルが悪すぎると言うことで近くの病院へ入院。
意識は戻らないだろうと言われたが奇跡的に普通に戻った。
すぐさま日赤への転院を申し出て、ベッドが空いた4日後に日赤病院へ転院。
看護スタッフさんが口々に「お帰り~、家で過ごせて良かったね~。」と暖かく迎えてくれた。
家で少しは歩けていたが発作後は歩行困難に成った。
痛いの、辛いの、体の向きを変えるの、お茶が飲みたいの、すべての感情や行動を僕に頼ってくれた。
この時期に娘に
「今のパパは優しさオーラでいっぱいだよ、その証拠にパパが居ないと痛いとかなんにも言わないんだから、パパだけを頼っているし、パパとずっといたいみたいよ。」
と言われた。

日赤病院転院後は少しずつ何かが彼女から剥落していった。
金曜日に尿の出が少なくなり、最期の時が近づいていると告げられる。

一山超えて安心して面会に行った日曜日。
土曜日には少なかった尿の量も正常に戻り、一安心していましたが。


面会に行くと妻はうなされているばかりで、朦朧とする頭の中で浮かんだ単語を繰り返し声に出し続けていました。
家に帰りたいと思うのだろうか「かえりたい」は2時間以上間断なくうわごとのように繰り返されていた。
「もうちょっと良くなったら、またお願いして家に帰ろう」と何編も言い聞かせるのだが、それでもうわごとはくり返されていた。
明らかに肝性脳症が起きていた。
お茶を飲みたい、歯磨きしたい、拾える単語にはなんとか対応出来たけれど

ベッドがナースセンターの脇に移され、それでも意味不明のうわごとや唸り声は続いた。

尋常ではない様子に看護師さんと相談し、今日は地区のドッジボール大会で来られなかった娘を迎えに自宅に向かいトンボ帰りで9時半に病院着。

唸り声はその後2時間続いたが深い昏睡状態に入る。
何を話しかけても反応なし。

朝6時に尿が止まる。
担当医から尿が止まったら半日と告げられる。

土曜には102、日曜には70有った脈拍は64に落ちた。
これも徐々に下降線を辿り、50を着れば次第に落ちてやがては止まるであろうと伝えられる。

妻の声が聞きたくて、
妻の笑顔が見たくて、
目の開いた顔が見たくて、
冷たくなっている手足をさする。

午後4時脈拍が50を切ったと告げられる。

ベッドの右に娘が左には僕が位置し、懸命に呼びかける。
脈拍44、呼吸も途切れ途切れとなり、

「僕は君と結婚出来てとても幸せだった、
だからありがとう。
僕を信じて介護を任せてくれてありがとう。
君の満面の笑みが大好きだった、いつも笑顔でありがとう。・・・・」
延々に妻に感謝の気持ちを伝え続けた。
もっともっといろんな言葉を掛け続けた。

脈拍がほとんどなくなりかけた時、妻の目が開いた。
そして「ありがとう。」としっかりした言葉が出た。
笑顔がそこに有った。
呼吸も脈もそこで止まった。
目を閉じさせ、髪をなでつけ
ナースコールを押した。

声を上げてオイオイ嗚咽した。
ひと目もはばからず泣いた。

看護師が来てさらに担当医を連れて来て死亡確認、18時15分。

日赤病院の看護士さんたちに整えられた妻の顔はとても穏やかで、素敵な笑顔になっていた。
自宅に連れて来たかったけど、介護ベッドや用品が置かれた我が家では受け入れるスペースがなかった。
斎場の安置所に届けて帰宅。
一人じゃ寂しいだろうからあす早朝早くに会いにいくよ。

妻へ、最期に素晴らしい笑顔ありがとう。

本日7・6、19時からお通夜。
明日告別式です。

カルチノイド腫瘍という病気には結局勝てなかったけど、
妻は決して自分に負けなかったと思う。

享年47歳。

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