« 頑張れニッポン、負けるな東北! | Main | 春来る »

2011.03.31

東日本大震災

このたびの東日本大震災により被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

震災当日、現場事務所の近くで火事が発生し、慌てて現場から戻った時に大きな揺れに遭った。
プレハブなので揺れ方は大きいのだが、長く揺れ続けるのがとてつもなく嫌な感じでした。

すぐに妻に電話もするもすでに回線が混み合っているというアナウンスに代わっていた。

ネットは通じているようなので地震情報を見ると、震源地は岩手県沖と有った。
岩手の地震で東京の西の方がこんなに揺れたことで震源地の揺れは半端ないと想像できた。
それに加えて10m以上の津波が来ると津波警報・・・・
10mってなんだ、町そのものが呑み込まれてしまう、言いようのない恐怖が湧いた。
多くの被災者が出ることが予想されたが、これほどまでの大震災になるとは想像がつかなかった。

揺れが収まり、現場に戻ったが幸いにも現場の工事関係者でけが人が一人も出ていなかった。
不思議だったのは、地震後も普通に作業が行われていたことだ。
5日後の消防検査に向けて、一時も休む猶予がなかったんだと思う。
結局作業は残業する業者もあり夜9時まで続けられた。
その日の夜、誰もが渋滞にはまり、動かない電車に帰宅の足を奪われたにも関わらず、翌日もちゃんと出勤してきた。
だが人は何とか来ても、資材特に建具や什器・設備の機器などの多くは東北に製作の基点を置くところが多く、物流が一切止まり、消防検査も店のオープンも延期を余儀なくされた。

妻からのメールが届く。
無事が確認できてホッとする、ただし所用で町田まで出かけていたらしく、電車は完全に止まり、バス待ちの長い列ができているとの事だった。
何時間か経って妻が帰宅、娘も自宅に待機していて無事を確認。
一番、一安心が出来た時だった。

その日の帰宅は2月から始めていたクロスバイクでの帰宅。
いつものように川沿いをひた走り、強い追い風も有って30分足らずで家に着いた。
いつもと違っていたのは川にクロスする道路に車が動かずに並んでいたことだった。
なので地震の当日の徒歩で帰宅する人々の姿は全く目にしていない。

家に帰り家族の顔を見て張りつめていたものが一気に溶けた。
家の中は戸棚の中のものや陳列棚の工芸品が散乱しているのを想像したのだったが、以外にも工芸品一個の被害だった。

翌日、輪番停電のことが発表になり、それに備えてクーラーBOXやガソリンバーナー、ヘッドライトやポリタンクなど使える限りのキャンプ用品を押し入れから出し、停電に備えたのだが、一度も停電になることもなく3月が終わった。

しばらくはTVの報道もあまり見なかったような気がします。
正義を気取ったインタビューアーの質問や、過去何度も繰り返し見せつけられた被災者への「今のお気持ちは」と言う容赦ない言葉を見たくはなかった。
直視できなかった。
津波の猛威も最近になってYouTubeで見られるようになった。
あまりにも無残な映像です。

笑顔とかキーワードになってよくTVで見ますが、笑えない時に笑顔に成れと言うのは酷な要求だと思う。
悲しいときは悲しまさせてあげなければ、いらぬ我慢を被災者に強いることはないと思う。

自粛と言う言葉も一体何なのだろう。
元気を出せる地域の人がまず元気を出し、その元気を届けてあげなければいけない筈なのだが。

灯火管制の元、「欲しがりません勝つまでは」と国民が管理されていたのは70年近く前のこと。
同じ過ちを繰り返すのだろうか。
贅沢は敵とまた教え、言い始めるのだろうか。

僕はほんの少しの金額の義捐金を日赤に届けることしか出来ません。

ただいつの日か被災に遭われた多くの方々の心の傷が癒され、
いつかまた笑顔を取り戻してくれることを祈り続けたいと思います。

|

« 頑張れニッポン、負けるな東北! | Main | 春来る »

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16635/51338059

Listed below are links to weblogs that reference 東日本大震災:

« 頑張れニッポン、負けるな東北! | Main | 春来る »