僕が少年だった頃(24)-男子校
引越しをした先、近くに県立の高校があります。
県立高校なので男女共学、通学の様子はカップルでと言うより女の子同士とか男子のみとかそんな様子。
帰りの方は見ていないので分かりませんけどね。
僕が通っていたのは、千葉県の某私学の高校。
県内でも有数の進学校に入る学校なのですが、残念ながら男子校。(最近中等部から女子も入れるように鳴り、共学化が進んではいるらしいですが)
ラグビー部に所属しているのだけれど、当時の予選は県内をいくつかのブロックに分けてそこから2校が本戦に進む仕組みになっていました。
4~5校がブロックにいるのだけれど、うちの高校を除いて皆県立の共学校。
当然ラグビー部には女子マネージャーなる人がいて、コレがまた羨ましい存在でもあったわけです。
試合中に自分のところの部員が頭などを打ち、倒れていたりします。
そうするとその女子マネージャーが優しい声で「大丈夫?」何て声を掛け、介抱してたりします。
こちらは悲しき男所帯、口々に「いいよな~、あれが青春だよな~」「やる気でるよな~」などと口々に溜息とも着かぬ嘆きが出てくるのでありました。
仮に自分の所で試合中に昏倒していたとしても足をスパイクで小突かれ「早く起きろよ」と言われるのが関の山。
まさに「月とすっぽん」の有様。
これらの共学校と試合をする時は、大方敵陣のグランドで試合をする事が多かったと記憶しています。
当時僕は100mを12秒そこそこで走る快速WTBもしくはハードタックルが売りのフランカーと言うポジションにいたのですが、WTBの時はグランドの脇に応援に来ている女子高生から黄色い罵声を散々浴びせられたのでした。
ボールを持てば「キャー転べ~~~、」「落とせ~」
ガツンと対面にタックルを入れれば「バカ~」「何て酷いことすんのよ~」
ライン際に立っているので、この黄色い罵声が目の前から聞こえてくるわけで、妙に悲しい気分にさせられましたア。
まぁ逆に悔しいので対面に八つ当たりでコレでもかとタックルしまくりましたけどね。
15歳から18歳の多感な頃、やはり共学で男女の間の細やかな機知は学んでおくべきだと思います。
甘酸っぱい思い出が全くその時代に、欠如していると、その後の恋愛への考え方やありように多大な影響が出ると。
細やかな感情の起伏が読み取れない。
中学の時に多少なりとも恋愛の感情があったにもかかわらず、高校の3年間それが全くなくなりました。
たまに紹介されたり、好きになった娘もいたのですが、風邪を引いたピノキオの如く、やることなすことギクシャクとして不自然な動きと会話。
とても見られたものではありません。
当時恋をしていた人に電話をするのですが、何を話そうかなんてメモが電話の横にある。
懸命に話題を拾っているのですが、そのメモが風に飛ばされひらひらとまって行きます。
携帯も子機も無い時代、会話に困って後が続かず・・・「じゃぁ」、と電話を切る。
言いようの無い挫折感。
普段から女子生徒と話でもしていたらもっと気の利いた話も出来たろうにと・・・。
その意中の人が自分の学校の文化祭に呼んでくれて、一人で行くのもなんなので、男3人連れ立っていった時のこと。
迂闊にはしゃいでいる僕が学校を案内してもらったり、有頂天気分で今後のワクワクする展開を期待しつつ「今日はどうもありがとう、また電話してもいい?。」などと言ってその娘と別れる。
せっかく来たのだからと3人で校内を歩いていると、その彼女が彼氏らしき人と歩いている時にすれ違う。
迂闊にはしゃいで簡単に落ち込む、開高さんがよく使っていた言葉ではあるのですが、まさしくその状態。
すれ違い、通りすぎた時に真ん中で一人うつむいているのが僕一人。
あちらのカップルと両脇の友人二人は振りかえって軽く会釈。
気を落とした僕を励まそうとこの2人が連れて行ってくれたのが、別の共学校。
歩く人たちは皆カップル、さらにツンノメル僕をさらに連れて行ったのが北の丸公園。
芝生の上で膝枕なんかしているカップル多々・・・・さらにドヨ~ンと落ち込みます。
2日間学校を休みました。
後で知ることとなるのですが、先の彼女一緒にいた彼とはそんなに時間も経たない頃お別れしていたそうです。
自分で完全に振られたと思っていましたが、幾数年後その人から今度結婚しますという連絡を頂きました。
その時の会話で「いや~振られちゃったし・・・。」と言うと帰ってきた言葉は意外な答え。
「だって何も言ってくれなかったじゃないですか・・・・。」
共学に通う生徒さんたちを見ると、たまに思い出す少年だった頃の苦い思い出。
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