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2006.05.19

僕が少年だった頃(23)-東京タワー

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僕が少年だった頃、町工場に勤める親父がよく連れて行ってくれた場所は限られていて、まずは皇居、上野動物園、近くに親戚が住んでいた羽田空港、そして東京タワーだった。
栃木の田舎から集団就職で東京に出てきた親父、同郷の娘を嫁にもらい家庭を作る。
工場の休みの日に僅かながらの小遣いを持ってパチンコやら近くの競艇に行くのが唯一の趣味だった。
物心つく頃にはよく親父についていって競艇場にも行った。
どうみても裕福そうに見えない親父に帰りの電車賃もすってしまったと100円せびって帰るオケラ虫。
子供心にその姿を見てギャンブルはやっちゃいかんと思ったものでした、おかげで競馬・競艇・競輪はやらずにいます。
パチンコ屋にもよく連れていかれ、自分でもパチンコ台の前に立ちたくて床に転がるパチンコ玉を拾っていたところ店員さんに見つけられ、親父も厳重注意。
それじゃまずいだろうとそれっきりパチンコ屋にせがれを連れて行くのはやめたようです。

家族で楽しめるような趣味があった訳ではないので、結局地方出身の親父が連れて行ってくれたのは、いわゆる東京見物だったのかも知れません。
家族で旅行と言うのも工場の社員旅行に家族で便乗していたような。
バリエーションも無く同じところを何遍も行っていたという記憶が残っています。
先日のロングランを記録し全国で270万人もの人が見た「ALWAYS 三丁目の夕日」に東京タワーが象徴的な意味合いで使われていますが、親父もああやって土手の上から出来つつある東京タワーを眺めていたんじゃないだろうか。
廻りに何にも無いところにどんどんと高くなっていく東京タワーを見て、家族が出来たら皆で行くんだとか考えていたのかも知れません。
やはり工場の仕事が終わった夕暮れ時、夕日を背に見える東京タワーが見えていたことでしょう。
愚直なまでに不器用に、こつこつとくそ真面目に、時代から取り残されようと家族の為に親父は働いた。

さだ まさしさんの歌で案山子と言う歌がありますが、その中でとつとつと我が子を心配している親父の姿が描かれています。
元気でいるか 街には慣れたか
友だちできたか
寂しかないか お金はあるか
今度 いつ帰る・・・・・・・

中略

手紙が無理なら 電話でもいい
「金頼む」の一言でもいい
お前の帰りを 待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ・・・・・・

親と言う物はいくつになっても子供が心配なようです。
色々迷惑をかけてばかりの親父に言われた一言。

「俺には、何にも返さんでいいよ、
その分、自分の子供に返してやれ。」と。

とーちゃん、あなた譲りの不器用さで何とか生きてます。
ただ僕にはあなたの愚直さが足りないようでした。
生まれてこのかたやったことの無いキャンプ、孫と一緒に行きたいと言っていましたね。
今年は一緒に行こうかね。
なんだったら釣りでもしようか、でも魚釣りは苦手でしたね。

また~東京タワーと思っていた少年の頃、今では東京タワーの見える景色が無いと今一落ち着きません。
04082114

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