1990年
1990年という年は僕にとって忘れがたい年です。
趣味はと言えば、学生の頃から続けているラグビーで、もうたったそれだけでした。
急に他の事もしてみたいと思い立ったのがこの1990年。
じゃ何をしようかと考えていると、当時のチームメイトに誘われ、夏山に登ろうと、自分の体力を過信し、25kg超のリュックを担いで白馬に登ることに。
普通に歩いていてもふらつく、リュックの重さ、途中のハイペースもあり、大雪渓を越えた辺りで頭の中真っ白状態。
その場に倒れこんで30分、ピクリともせずに爆睡状態、ようやく体力回復してテン場にたどり着きました。
翌日も他の3人に遅れての歩き、遅れているおかげでこういう素晴らしいショットも撮ってもらいましたが。
普段のラグビーという平地での運動と山を登るということの違いを思いっきり知らし召させられた登山でした。
過信していた体力、痛い思いをしましたね。
山に登った話を聞きつけ、今でもチームの監督であるT氏に黒部渓谷を歩こうぜと誘われます。
そこで黒部の下の廊下を歩くことに。時間が有れば竿を出そうと言うことでしたが、竿出しのポイントには多くの登山者が休憩していて、やむなく竿は出せませんでした。
ここは登るというより、水平歩道を下っていく感じですが、足元を流れる黒部川、優にその高さは50mを越える断崖絶壁。
歩道巾60cm~80cmを壁に付けられているワイヤーだけを頼りに歩きます。
高度に慣れればそんなに難しくは無いのですが、慣れたと思う頃、遭難された方の碑があったりでそこでまた気を引き締めなおして、歩く感じでした。
この黒部川、覗き込んでみると大岩の脇に60cmを超える大岩魚の姿が3匹、急な流れに流されること無く悠々と泳いでいました。
その3匹の姿を見て、山に登ることより、峪の方に興味が湧いたと今思えばそう感じます。
この頃、源流釣行を主にした本ばかり買い集めています。
「目指すは源流の大岩魚!」。
尾根筋からすっかり渓谷の世界に興味が移っちゃいました。
その中に普通の餌釣りと違う格好をした釣り人の姿を見つけます。
沢登に目覚めて、11月にいきなり単独で丹沢の水無川本谷に行って、F8の高巻きに失敗して、道に迷い、獣道に入り込み、ガレた谷を落ちる石ころとともに駆け下りて、尾根筋にエスケープしようと登り、途中で滑落。
木に引っかかって、一命を取り留める。
降り方ははじめての懸垂下降で、それでも30mは有りましたので、そのまま落ちていたら・・・・。
そこで、ようやくこのまま突っ走ると命を無くすぞと思いましたね。
そういう状況で見たフライマンの写真だったわけです。
見慣れた源流釣り師の格好と違い、やたら格好良く見えたのも事実。
そんな格好に憧れて始めたようなところも無きにしもあらず。
久方に会った後輩がいて、彼がフライをしていると聞いていろいろ教わり、道具も揃えたのはこの年の暮れでした。
アウトドアだ→山だ→峪だ→釣りだ→フライフィッシングだと4段飛び位してしまった1990年。
無茶せずを心に決め、オートキャンプに方向転換したのも丁度この頃ですね。
翌年、所属していたラグビーチームが強くなりまたグランドに戻ってしまい、こちらにのめり込めなかったのではあるのですが。
この1990年、忘れられない年で有ります。
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