誰かが見ている
登録者が472万人を超え、今なお増殖中のブログ。
中には行き過ぎの記載のため「祭り上げ」られ、実生活にも多大なるダメージを受ける方も増えているようです。
ブログで自滅する人々(第1回)~ブログで「祭られる」人々を見て、「他人のふり見て我がふり直せ」と考えさせられました。
ブログで自滅する人々(第2回)~「祭り」はこうして進行する(1)
ブログで自滅する人々(第2回)~「祭り」はこうして進行する(2)
日記形式で記事やその日の出来事を書くと、どうしても付いてくるのが自分の感情。
腹立たしい気持ちで記事を書いてしまうと、その怒りの感情がモロに記事に出ます。
僕も一度だけそんな記事を書いたことがあります。
一晩たてば(冷静ななると)忘れてしまう事くらいなのですが、腹立たしさが先に立って勢いで書いてしまう。
後で読み返して行き過ぎた表現とかを訂正したりもします。
記事に感情が入っているときって、事の外いつもの記事より文章が長くなってしまっていて、怒りなりの有る部分への記載がしつこくもなります。
過剰な表現になっていたりもする、そこに反論コメントも入るだろうし、賛同の意見も入る。
冷静にやり取りが出来ればいいが、話はコメント内の一言一句のあげさげになってしまうとなかなか収拾が付かないものになってしまいます。
「誰が見ている」かが分からないネット。
善意で何気なく出した画像がどう悪意によって改ざんされているのかまでは知り得ないところがあります。
日記形式では少なからず自分の個人情報が知らず知らずのうちに公表されています。
一つ一つは小さな断片であってもそれを拾い出してまとめれば、ここにいるTomcats23なる人物が丸裸になることだって可能です。
ゆえに記事には気を付けなければと思います。
感情のコントロール、むっとしてもそれをそのままの状態で記事にはしないようにしたい。
毒を出せばその毒で自己中毒だって起こしかねない。
日記なるもの、非常に難しいなと思うのです。
「のほほん」と有りたい、「のほほん」としていたいナ。
| 固定リンク
最近のコメント