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2005.10.27

僕が少年だった頃(19)-砂町銀座

「僕が少年だった頃」シリーズも飽きることなく19個目のエントリー。
今、住んでいるところでは味わえないのですが、商店街をぶらぶら歩くというのが好きです。
駅を降りて、自分の家まで商店街を抜けて歩いていく、魚屋が在ったり、八百屋が在ったり、惣菜屋が在ったりと、決してファッションストリートと言われるようなお洒落な街ではなくて、おかず横丁のような、そんな商店街。
例えて言うなら中野のサンモールではなくて、高円寺純情商店街の人と人の方がすれ違うような狭さの商店街が好きです。
生まれは江戸川区ですが小学校入学時までは江東区の砂町に住んでいました。
東京メトロの東西線もまだ開通していない時代、明らかに陸の孤島。
最寄駅はJRの亀戸で、都電に乗ってようやく錦糸町という、電車に乗るなんて程遠いところでした。
大きなスーパーなど有るわけも無く、砂町銀座という商店街が唯一、買い物が出来るところでした。
月に1~2回、休みの日に買い物に連れて行ってもらうのが子供心に楽しみでした。
一度、瀬戸物屋の陳列棚を倒してしまい、割れた商品の弁償をさせられたこともあり、なかなか連れてきてもらえなかったりしたので、ここに来れるとなると大喜びでした。
sunagin-map

砂町銀座商店街とは
砂町銀座の成立
戦前は30軒位の普通の商店街でした。戦争中は商店も強制疎開され戦後焼け野原の場所へ戻り始め、昭和25年~30年で飛躍的に店舗数が増えて昭和38年頃にはほぼ現在の形になりました。
砂町銀座の由来
昭和7年10月1日平和会(当時の商店会名)記念式典で城東区選出東京市会議員宇田川啓輔氏の「この通りが早く砂町銀座と呼ばれるような一大繁華街となられん事を望む云々」の祝辞を受け、その晩早速役員会を開き通りの名を砂町銀座にしてしまったのが由来です。
砂町銀座の立地
隅田川東岸から5キロ東小名木川の南側明治通りと丸八通りを東西に走る670m。バスに乗って最寄の駅まで出ないとどこへもいけません。有名な観光地もありません。それがいいと言う人もいれば、それが良くないという人もいて、評価は分かれる所。

年表を見ると、昭和38年頃に今の形になるとあり、その頃に通っていたんですね。
商店街を抜けるという感覚が好きなのは、子供の頃のわくわくした感じが思い出されるからなのでしょうか。
親父に連れられてパチンコ屋に入ったのもこの街、三輪車を買ってもらったのもこの街、日々のおかずを買っていたのもこの街でした。
この砂町銀座、廃れ行く商店街が多い中、今でも元気です。
年に数回、懐かしい匂いをかぎたくなってここに訪れています。
夕食のおかずでもと思って立ち寄るのですが、ついつい惣菜に目を奪われつまみ食い。
商店街を抜ける頃にはおなかがいっぱいと言うことになります。
交通は不便です。
近くに民間の駐車場がありますが極僅かです。
東西線・東陽町駅下車 都営バス 約12分(都07 錦糸町駅行)
都営新宿線・西大島駅下車 都営バス 約15分(両28 葛西橋行)
JR総武線・錦糸町駅下車 都営バス 約15分(錦14系統 門前仲町行)
JR総武線・亀戸駅下車 都営バス 約12分亀24甲)境川経由 葛西橋行(亀29)境川経由 ナギサニュータウン行 
いずれも 【北砂2丁目】下車

不便では有りますが、懐かしい昭和の香りのする街です。
sunamachi
その頃の当方です、まだ少年と呼ぶには幼過ぎる頃です。(汗)



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Tracked on 2005.11.04 14:06

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