夏だ!菅平だ!
かれこれ12年前の我がチームTOMCATSの菅平合宿での一枚です。
丁度チームに勢いが付いて所属するリーグの優勝争いに参加できていた頃ですね。
写真に写っているメンバーも常時参加できているメンバーは半分以下になっています。
時代時代に活きのいい選手が入って、その選手に引っ張られるようにチームも活性化します。
この数年新入部員の参加が無く一律皆して齢を重ねて着ました。
ようやく今年になり活きのいい部員が入り、チームとしても息を吹き返したところです。
最近、参加率の低い当方ですがこういうときこそチーム結束のために菅平で合宿して欲しかったなと思います。
今でこそ夏のラグビー合宿は菅平が当たり前のようになっていますが、これは地元の宿の協力があってのこと。
「何故ラグビー合宿は菅平なのか。
昭和6年、上田丸子電鉄専務取締役柳沢健太郎氏が当時の法政大学ラグビー部長高橋一太郎先生に「菅平にホテルを建設したが、冬季以外の利用者がなく、他のシーズンに活用できる方法はないものか」と相談したのがきっかけで、合宿地の選定に苦労していた法大ラグビー部は8月の中旬、部長以下40名をひきい、始めての合宿練習を行った。」 のが始まりだそうです。 昭和42年JAPANがここで合宿、そうすると全国の大学・高校が集まるし、集まれば試合相手に事欠かない。 昭和50年、合宿の受け入れに携わる者が現実にラグビーを知らなくてはと、実際にクラブを結成しました。 ラグビー精神を学ぼうとホテルや旅館の宿主たちによって「菅平やどろく」チームが誕生した。 その後、忙しい仕事の合間をぬっては練習を重ね、ドンキーズや不惑クラブGW(ジーダブ)等と定期戦を行うなど、菅平のホストチームとしてようやく成長してきた。 昭和58年、関東ラグビーフットボール協会主催の関東クラブチーム交流大会が開催された。 始めは、関東協会傘下の社会人クラブ4チームと地元菅平の「やどろく」を含めた5チームだけのスタートであったが、参加するチームは年々増え続け、ここ数年は100を優に越えるチームが各地から集まっています。 |
若かりし頃、無心にグランドを駆け巡り、グランドにぶっ倒れて大の字で寝転びましたけど、相すれば嫌なこともなんもかもすっきり忘れられましたけど・・・。
今はそこまでたどり着けない40半ばの男がここにいます。
菅平を思えばオンリーラグビーでしたが、最近では近くにいい渓流はないかと捜してしまいます。(笑)
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