僕が少年だった頃(17)-三角乗り
「三角乗り」と言ってもピンと来る人も少なくなっていることでしょう。
昭和40年代初頭、世間では高度成長という名の下にどんどん豊かになっていく時代でも有りました。
当時の我が家も廻りの世帯と同じように高度成長をしてくれていれば、「三角乗り」も経験しない子供だったろうと思います。
しかしながら集団就職で上京して以来、コツコツと鉄工職人をして門扉など作っていた父はアルミという新素材の工業製品にそのシェアを奪われていました。
都内の下町の長年勤めた鉄工所がなくなり、埼玉の八潮市の工場に変わります。
中川と大場川が合流するするその土手のそばに工場が有りました。
地図で見てもそんなに遠いところでもないのですが、今から40年ほど前のそこは子供心にもかなりの田舎でした。
雪が降ると土手にトタン板を持ち出してのそり遊び。
たまに雪で隠れている肥え溜めにどぼっと嵌まる大人もいました。
同じ所を通っても子供の体重では沈まなかったんじゃないのかなと思ってます。
電線一つ無いのでその土地でたった一回経験した正月に凧揚げが出来ました。
夏休みになっての引越し。
今の子供のように塾や習い事など無縁の当時の子供達、皆外で遊んでいます。
工場の近くにたまたま同級生になるA君がいてすぐ友達になりました。
その仲間達、みんな自転車に乗れて自分の自転車を持っていました。
移動するのにも自転車で行くわけです。
その頃の僕はまだ自転車に乗れませんでした。
一緒に行動するわけですから、どうしたかというと走るのです。
自転車に付いていけるようひたすら走ります。
まぁよく走ったのですが、ちょっと遠くになると付いていけなくなります。
ゆっくり漕ごうとか待っていてあげようとかは子供の感情には有りません。
置いていかれます。
夏休みが終わる頃、そこで両親に「自転車が欲しい」と懇願するのですが世間から置いてけぼりの我が家には自転車1台買う余裕が有りません。
父親がコレに乗れと持ってきたのが工場で使っていた荷台付きの大人の自転車でした。
フレームも太くそして重い、サドルにはごついバネが有り、たしか皮で出来ていたような配達用自転車。
当時120cmくらいでしたから当然フレームをまたげるわけも無くその日から三角乗りの特訓です。
フレームの下に脚を入れ漕ごうとしますが何遍やっても転びます。
元々不安定な乗り方なので転ぶ時も変な感じで脚を挟んだりで、痛いのなんの。
あざと擦り傷とかさぶたと、転ばなくて済むようになったのは2週間後。
友達の自転車に付いていけるようになったのはそれからもう少し経ってからのことでした。
そして一冬越えて我が家は江戸川へと引越し。
その後しばらくその自転車を乗り続けていたようないない様な、三角乗りは脚が届く頃まで続けていましたが、それがいつなのか分かりません。
ふとコンビニで見かけた「トトロ」の人形で、その中に出ていたカンタが「三角乗り」してたっけと思い出した僕の「三角乗り」。
三角乗り、今出来るのかな~。
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