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2005/02/21

解禁の思い出その2

hunayama
解禁釣行、あまり行かない人なのですが、1992年3月4日に出かけていました。
当時、源流志向のT田氏、里川のベテランT沢氏、それにフリーライターにI氏(今回不参加)、釣りが出来ればどこへでものFFM初心者の僕とで『酔渓会』なる釣りの会を作っていました。
何のことは無い河原で焚き火して楽しくお酒を呑んで一泊してこようという会でした。
解禁間もない富士川支流早川へ、ここはT沢氏が家族でよく来るホームグラウンド。
実際には早川の1支流である船山温泉下の船山川へ行く。川の風情はいわゆる里川で田園と温泉地を流れる、それなりのたたずまいをしている。
今回は天気に恵まれずまた林道工事のブルドーザーも入っていて濁りがあり釣り場の選定に迷う。
T沢氏の今回は魚を釣ってもらいたいの希望によりフライでなく餌釣りとなる。
落ち込みで一匹釣り逃し、瀬で待望の一匹を得る。まだ生まれて1年未満の13cmのアマゴ。
山女には無い朱点が美しくほれぼれするのである。渓流の宝石とはよく言ったものだ。
その後雨は一段と強くなり釣れる状況ではなくなり3人で各一匹。
船山温泉の入り口の橋の下でずっと釣りをしていたのですが、浴衣姿で傘を差しずっと僕らの釣りを見物している人がいました。1時間以上はずっとみていらしたような気がします。
ようやく先程の一匹が釣れて、見物人の方にアマゴをあげて見せた時には、もうそこにはその人の姿は有りませんでした。
帰りに横浜のT沢氏の家へ、いつのまにか採っていた山菜を奥さんがてんぷらにして出してくれました。
ナチュラリストを自称しようとするならばせめてT沢氏の様になりたいものだと思うので有りました。
今から一昔以上のお話。
と解禁の思い出話を書いてみても、今年はエンジンのかかりが遅くて3月半ば過ぎないと解禁になりそうもないです(涙)。

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