開高健没後15年
1989年、昭和と平成のまたがったこの年の今日12月9日、小説家開高健は食道癌に肺炎を併発して亡くなりました。享年58歳。
彼を想い、感慨にふけるのはやはりウヰスキーのストレートをキュッと口にしたほうが良さそうである。
氏の文章は時代と共に風化するどころか、何度読み返してもその豊潤な表現に驚かされてしまうのである。
前に読んだときよりも次に読んだ時の方が文節の間にある深い意味が見えてくるから不思議である。
生前の開高氏はモンゴルのチンギス・ハーンの稜墓を捜すプロジェクトに心を傾けていました。
その稜墓が近年見つかったと言うニュース、氏が生きていたら真っ先に飛んでいくのではなかったカナと思われます。
釣行記はここで触れずとも多くの人を魅了し、その言葉の深さに頷かれていることだと思います。
僕は氏の書いた「ヴェトナム戦記」は今だからこそ読まれるべきではないかと、
あのおろかな戦争をどちらに付くわけでもなく覚めた目で戦争を捉えている、戦いそのものの理不尽さをたんたんと問いかけている。
アメリカは同じ間違いをイラクでしているのでは無いだろうか。
正義を振りかざすあまり民衆をどんどん敵に廻しているようにしか思えないのである。
戦うことの無常さ、「ベトナム戦記」から「輝ける闇」と合わせ読むとルポと小説の違いも読み取れると思います。
ヴェトナムがある程度開かれた時に公開された「ヴェトコン・トンネル」、その地中に張り巡らされたトンネル網の凄さを目の当たりにし、その時ほど開高氏が生きていてくれたらなぁ、どんなコメントをしてくれるだろうと残念に思いました。
昭和と共に生きた小説家・開高健、ダンディズムを貫き、マンとしての骨格を同胞に示してくれた男、自分がおいそれと経験出来ないことを小説に紀行文にと紹介してくれた僕の「心の師」
いざ鎌倉へ、開高氏に会いたくなりました。
開高健記念館
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