フェニーチェ劇場復活
フェニーチェ歌劇場:フェニーチェ劇場復活asahicom
1996年1月29日の原因不明の大火災の壊滅的被害を乗り越えてイタリアのヴェネチア・フェニーチェ歌劇場の復活こけら落とし公演「椿姫」(ベルディ作曲)が12日夜に行われた。
イタリア・ヴェネツィアの宝石と呼ばれるフェニーチェ歌劇場は18世紀末、フランス革命の時代よりの伝統を持つヨーロッパ屈指の名門歌劇場である。最初の建物は1836年に火災で焼失するも翌年には元の建築を極力復元する形で再建、人々を驚かせた。以来、数あるヨーロッパの歌劇場の中でもトップランクに位置し、ヴェルディ作品の初演などを数多く手がける。ところが1996年1月、再び伝統ある劇場が全焼し、仮設劇場での公演を余儀なくされることとなった。そしてついに2004年11月、フェニーチェ=不死鳥という名のとおり復活を遂げる。この悲願の達成には日本のファンからの募金も寄付され一助となった。 再建工事はヴェネツィア市長パオロ・コスタ氏をリーダーとして「元あった場所に元あったように」を合言葉に、「世界一美しい」と言われた内装に最新の舞台機構を備えるべく8年もの歳月を要した。内装は「魔法の森」をテーマに、金の蔦の絡まる木々の中に女神や動物達が潜んでいるデザイン。1854年の改装時に採用されたネオ・バロック様式を各ジャンルの専門家が忠実に再現した。フェニーチェ歌劇場日本公演2005オフィシャルHPより |

1994年にヴェネチアのカーニバルの時の様子。中世を意識した衣装をまとっていました。
1792年、水の都ヴェニスに世界で最も美しいオペラハウスとして誕生し、その名は、“ラ・フェニーチェ”、不死鳥です。
その名の如くまさに不死鳥のように蘇ったフェニーチェ歌劇場。
フェニーチェ歌劇場はヴェネチア市民の文化の中心であり、市民の誇りでもあった。4日間カーニバルを見るためだけに滞在したのだが、立ち寄ったレストラン・パブ・みやげ物屋の方から必ず「フェニーチェはもう観たか」と聞かれた事を思い出します。
内装復元、写真手がかり 女神が舞う水色の天井画や、ネオ・バロック様式の金色を基調にした装飾――。フェニーチェ歌劇場の象徴でもあった「世界一美しい」内装がよみがえった。 再建工事は「元あった場所に、元のように」という理念が貫かれた。劇場のロビーや広間には黒ずんだ壁や、くすんだ装飾が点在している。幸運にも焼け残った部分は生かし、シャンデリアの小さなガラス玉まで、取り込める限り活用した。 劇場装飾の資料がほとんど残っていなかったため、復元には、焼失前の写真やビスコンティの映画「夏の嵐」が参考となった。市内の仮面職人ゲリーノ・ロバートさん(46)は、ツタが絡まるようなイメージの客席のレリーフの型、女神像やキューピッドの彫刻を制作した。「内装は完全に破壊され、修復ではなく復元作業だった。19世紀の優雅なスタイルをつくるのが難しかった」。約1年間、毎日10時間、日曜日もクリスマスも働いた。天井画はイタリアの名高い背景画家が手がけるなど、再建は芸術家や職人たちの共同作業で成し遂げられた。 |
消失前の写真や映画を元に復元と言う作業、並大抵のことではない。
まさに炎の中から不死鳥として蘇るには多くの職人の匠の技と、市民のフェニーチェを愛する心があってのことと思わずにはいられません。
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