菅平は今が盛り
現役の高校生今頃は菅平で多いに鍛えられている最中でしょうね。
逞しくなって帰ってくることを期待しています。
今でこそ夏のラグビー合宿は菅平が当たり前のようになっていますが、これは地元の宿の協力があってのこと。
Loopさんの質問が有ったのでこちらにエントリーです。
「何故ラグビー合宿は菅平なのか。
昭和6年、上田丸子電鉄専務取締役柳沢健太郎氏が当時の法政大学ラグビー部長高橋一太郎先生に「菅平にホテルを建設したが、冬季以外の利用者がなく、他のシーズンに活用できる方法はないものか」と相談したのがきっかけで、合宿地の選定に苦労していた法大ラグビー部は8月の中旬、部長以下40名をひきい、始めての合宿練習を行った。」 のが始まりだそうです。 昭和42年JAPANがここで合宿、そうすると全国の大学・高校が集まるし、集まれば試合相手に事欠かない。 昭和50年、合宿の受け入れに携わる者が現実にラグビーを知らなくてはと、実際にクラブを結成しました。 ラグビー精神を学ぼうとホテルや旅館の宿主たちによって「菅平やどろく」チームが誕生した。 その後、忙しい仕事の合間をぬっては練習を重ね、ドンキーズや不惑クラブGW(ジーダブ)等と定期戦を行うなど、菅平のホストチームとしてようやく成長してきた。 昭和58年、関東ラグビーフットボール協会主催の関東クラブチーム交流大会が開催された。 始めは、関東協会傘下の社会人クラブ4チームと地元菅平の「やどろく」を含めた5チームだけのスタートであったが、参加するチームは年々増え続け、ここ数年は100を優に越えるチームが各地から集まっています。 |
宿の経営者も協力しグランドも増やしてグラウンドは77面を数え、合宿をするチームは800を越えているそうです。
なんと言ってもラガーを受け入れる宿の苦労は並大抵ではないと思います。
風呂は砂だらけに成りますし、食べる飯の量が半端では有りません。普通の2倍くらいは食べる。
食べないとハードな練習に置いていかれます。
汚れ物も多い、洗い場でデッキブラシでゴシゴシやるものだからビシャビシャです。
真っ黒に日焼けしたいかつい大学生がウロウロしているのもこの街ならではの光景。
この合宿で鍛え上げられた者が自チームでレギュラーを取り、
成果の上がったチームが暮れの大会に結果を残せる。
泣いても笑っても2004年の夏はたった一度。
おじさんラガーは半分観光で菅平に行きましたが、良く走りよく飲みました。
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